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  • 執筆者の写真のじょみ

インド就労で得たもの





Namasteでございます!

早速、日本の圧力鍋を爆発させました。のぞみです。



インドの圧力鍋って、てっぺんの蒸気口をフォークとかで持ち上げると

しゅーしゅー蒸気を逃がせて早く蓋を取れるんですよ。

(蒸らすのも大事なのはわかっているが、腹ペコには時間が無い)

というのに倣って、蒸気口を少し経ってぷしゅっとしたところ

カレー煮込み汁大噴射 ゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚ワァァァァッァァァ



鍋自体が爆発しなくて幸いでしたが、キッチンが煮込み汁の海になりまして

潔癖の彼氏の人に怒られないように一生懸命掃除しました

説明書をよく読んだら「いかなる場合でも圧が下がるまで開けるな」と書いてありました

(すげえ重い堅い言葉・・・の意味を思い知る)

まあ、そんな新年一発目のドジ話は置いておいて。。




日本に帰国してもうすぐ3ヵ月ですが

インドで働いて生活してよかったな、と思えることがあることに気が付きました




一言で言えば、

「物事の本質を見極めて追いかけられるようになった」ということです。




例えばですが、

何か問題が発生して、インド人みんなと意見をぶつけ合うような場面になるじゃないですか

それを一旦黙ってよくよく聞いていくと

みんな共通して大抵ある事がベースで不満や攻撃になっていると分かる

そして議論が続いていくと大抵のインド人から論点すり替えが始まる

でも結局は根本は此れでしょう?というのを忘れないで追いかけつつ

戻して元の論点での対話をinitiateし続けないと

解決しないままその場の議論は終わる。というか終息がつかずに終わる。




そのただ根本的な一点を察知して、かつどんな方向に流されても見失わないこと

これができるようになってきたし、物事の判断で役立っているのかなと感じています

感情上ではただの渦巻く「?」なのですが、よくよく考えると、とある理論がある

感情的な疑問だけではなく、普通の普通や整然の有り様が分かる




インドだけではないと思いますが

インドは特にそうなのかなーと勝手に思ってるのは

起こる事象の密度と幅が超でかいのです。

本当に、インドの人々は人間臭い。すごい生の人間。本能の人。

本能100%の世界で流されたら、そりゃ理性と調和の日本人は気づかぬうちに淘汰される

そんな世界だったなと今も思っています。

そういうところがインドの大好きなポイントなのですけどね。

性善説は変えないけど、それがある上での性悪説的懐疑というか。




生きていれば、そりゃあ何が何だか、何がしたいのかわかんなくなることばかりなのですが

「結局何が根本的な問題なの?どうしたいの?」と自分にも他者にも問いかけています

その問題に気づけたり、元来の目的を思い出したら、なんだか安心できますしね。

そうやって自分で納得や判断を作っていかないといけないんでしょうね。




わたしがインドに渡った手段は現地採用でしたが、一応それなりの生きやすくなるマインドセットを体得できたことには満足しています

(わたしがインド現地採用になった理由はこちらです)

ただ、給与は低いし、評価もろくにされないし、待遇は悪いし

(勿論会社によるし、自身の捉え方にもよるけど)

どんな選択も一長一短だからプライオリティ決めて選択していかないと自分が可哀そうですね




今年はそんな年になる気がする。







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