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執筆者の写真のじょみ

青く燃えていく





Namasteでございます

昨日屋台で食べていたら、知らないインド人に指をさされて「コロナ!」と言われました のぞみです

人種差別って、そんなに楽しいものなのでしょうか。






むかしむかし、といっても高校生から大学生の時期

わたしには自分に対する自信が全く無かった

正確に言えば、自分を卑下して、わたしを認めてくれる他人を傷つけていた






そんな逆の体験をしました






インドで出会って、変な意図は無く、もっとこの人を知りたい、仲良くなってみたいな

と思ったので声を掛けたのですが

その瞬間に、そのひとはものすごく自分を卑下し始めた

自分は「つまらない」とか「危険だ」とか

わたしは全くそう思っていないのに、わたしの実感を無視して押し付けられてしまった







きっと実際に深く関わってから、わたしが「つまらない」とか「やばい危険」と思ったら

たしかに前提として、そう言われていた方がびっくりしないかもしれない

だけど、それはわたし自身が関わりから判断したものだから、わたしが責任を持つ

まだなにも経験していないまま負を押し付けられてしまったら

なんだか、相手に前向きになった自分が押し殺されたようで

残念で悲しくしかなれない

拒絶だったのかな、相手ではなく自分を否定して相手のやる気を削ぐ的な?







わたしの恩師から「褒めたら卑下しないでほしい。僕が否定されたことになる。」

と言われたことがずっとこころに刺さっている

その感覚が、今なら自分自身でも理解できる 







だけど、自分に自信が無いときは、どんなに褒められても「ありがとう」すら言えない

褒められた特徴や好意を受け入れたら、自分が自分でそうであると認識しなきゃいけないから

自分の魅力を認識する自信が、そもそも無いのだ







だから、悲しいけどわたしは身を引くことにした

どんなに素敵だと思ったところを伝えても、あのひとには届かない

どんなに相手を救いたいと思っても、あのひとには恐怖となる

あのひとには幸せになってほしい けど、わたしにはできないのだろう







だから、今までわたしのことを諦めずに見続けてくれた恩師には感謝しかない

きっと楽しいことも共有できていたけど、悲しい思いも沢山させていたのだろう

親友も、イラついていたこともかなりあっただろう(というかそう言われた)

それでも、見捨てずにわたしが納得するように上手く叱ってくれたこと 感謝してる

感謝しかないから、わたしが彼らのお陰で自分を生かしてこられた分

これからわたしが出会う人を、大事にしたかった・・・のだけどなあ







どうしようもない。執着を捨てる。













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