- のじょみ

- 2020年3月18日

Namasteでございます
テラスでコーヒー飲んでぼーっとしているのが心地よい儚い春のデリー のぞみです
来週くらいからどんどん熱くなっていくのだろうな・・・
顔がテカテカになる半年間が始まる・・・(きつい)
とはいえ、通勤のオートリキシャの風は気持ちいい
マナリから帰ってきてから
体調を普段通りに戻す為に気力と体力を使っているのと同時に
ついにわたしのインド生活にも春が訪れようとしているような心地で
なかなか地に足がつかない。浮つく。
「ひとに期待しない、執着もしない」
そう決めて心を固めて実際にこの半年は行動に移してきたけれども
気を離そうとすればするほど行き場が無くて浮ついて、期待が止められないし
突然来たメッセージで期待を超えられてきて心臓がはち切れる時もあるし
些細なことで振り回されたくなくて執着しないようにしても
気付いたら手元も目元も気持ちも彼を向いているから不思議としか言えないわ
それも、相手からベクトルが向いていると感じられるからこその反応とはいえ。。
こんな心地よい清々しいベクトルなんて、23歳ぶりだなあ
しかし様々な嫌な経験をしてきてしまったので、邪推をしてしまう
自ら信じ込んで傷つくだなんて、馬鹿か。
何事も焦ってはいけない
欲しいものを手に入れるには、それなりの労力が掛かるのだ。
全てがmeant to beなのであれば、let it be、いつかは叶うはずなのだ。
(とはいえ運命なんて糞喰らえ)
手に入らないのであれば、それまで。それでしかない。
それがmeant to beだったということだけなのだ。
執着をして、気持ちを伝え、貰い続けることにエネルギーを使って
そして離れられてしまうなんてつらすぎるのよね
それなら冷静と情熱の狭間でいい
相手を思い遣って身を潜める恋もあるもの哉と
それでわたしが冷めてると言われても
愛していることには変わりないのだから
↓ぽちっと応援お願いします!↓
- のじょみ

- 2020年3月14日

Namasteでございます
今年のホーリー休暇はヒマーチャルプラデーシュ州にある、マナリという村にいました のぞみです
バックパッカーの聖地とか、マ○ファナの聖地とか
あまり良い呼ばれの無いヒマラヤの中の村ですが
名前を聞いて、サーチしたら、「これは行かなきゃ!!」となりましてね。。
やっぱりインドは北部が好き。。!
今回の旅はデリーからマナリまで夜行バスで片道約15時間
バスはセミスリーパーだけなのでリクライニングでずり落ちることに耐えながら
片道Rs.1200くらい
着いたらそこは ご ご 極寒 !!!
初日の夜はまさかの大雪で。マイナス3℃で。
オートリキシャで大雪の山道を駆け抜けるという偉業?を成し遂げました
旅中、朝晩はずっと凍えてましたねー。。
誰なんだ、3月もシーズンとか言ったのは。。。
お土産街とレストラン街のニューマナリ バックパッカーに人気の沈没エリア、オールドマナリ
そして温泉(!!!)がある近郊の村バシシュト
そんな構成の小さな村
オールドマナリにはほとんど毎日通っていたのですが
料理のクオリティが高すぎて(お値段も高い)お腹がしあわせでした。。❤︎ しかも沈没エリアなので脱力カフェ天国
ということはお分かりかもしれませんが、周りの人たちはみんな大麻の煙もくもく
滝を見に、バシシュトで軽くハイキングとかもしてみたのですが
美しい自然の中で確かに誰かの生活があって
過去の嫌なこととか、これからの不安とか
そういうものを考えないで自然体でいられました
今見つめている現実がきらきらしていて、夢中。
とはいえ観光地のお寺を訪れると
外国人や。。という目線と同時に、コロナという言葉が降りかかりました
常識の無い薄情で可哀想なひとも多くいて攻撃してくる、悲しい世の中ではありますが
一緒に旅してくれた友人や、飲んでくれる友達や
わたしを見捨てずに気遣ってくれる周りのひと
大切なひとたちとわたし自身は、一緒に笑っていられますように。
ずっとそんなことを考えていました。
↓ぽちっと応援お願いします!↓
- のじょみ

- 2020年3月5日
更新日:2020年3月14日

Namasteでございます
昨日屋台で食べていたら、知らないインド人に指をさされて「コロナ!」と言われました のぞみです
人種差別って、そんなに楽しいものなのでしょうか。
むかしむかし、といっても高校生から大学生の時期
わたしには自分に対する自信が全く無かった
正確に言えば、自分を卑下して、わたしを認めてくれる他人を傷つけていた
そんな逆の体験をしました
インドで出会って、変な意図は無く、もっとこの人を知りたい、仲良くなってみたいな
と思ったので声を掛けたのですが
その瞬間に、そのひとはものすごく自分を卑下し始めた
自分は「つまらない」とか「危険だ」とか
わたしは全くそう思っていないのに、わたしの実感を無視して押し付けられてしまった
きっと実際に深く関わってから、わたしが「つまらない」とか「やばい危険」と思ったら
たしかに前提として、そう言われていた方がびっくりしないかもしれない
だけど、それはわたし自身が関わりから判断したものだから、わたしが責任を持つ
まだなにも経験していないまま負を押し付けられてしまったら
なんだか、相手に前向きになった自分が押し殺されたようで
残念で悲しくしかなれない
拒絶だったのかな、相手ではなく自分を否定して相手のやる気を削ぐ的な?
わたしの恩師から「褒めたら卑下しないでほしい。僕が否定されたことになる。」
と言われたことがずっとこころに刺さっている
その感覚が、今なら自分自身でも理解できる
だけど、自分に自信が無いときは、どんなに褒められても「ありがとう」すら言えない
褒められた特徴や好意を受け入れたら、自分が自分でそうであると認識しなきゃいけないから
自分の魅力を認識する自信が、そもそも無いのだ
だから、悲しいけどわたしは身を引くことにした
どんなに素敵だと思ったところを伝えても、あのひとには届かない
どんなに相手を救いたいと思っても、あのひとには恐怖となる
あのひとには幸せになってほしい けど、わたしにはできないのだろう
だから、今までわたしのことを諦めずに見続けてくれた恩師には感謝しかない
きっと楽しいことも共有できていたけど、悲しい思いも沢山させていたのだろう
親友も、イラついていたこともかなりあっただろう(というかそう言われた)
それでも、見捨てずにわたしが納得するように上手く叱ってくれたこと 感謝してる
感謝しかないから、わたしが彼らのお陰で自分を生かしてこられた分
これからわたしが出会う人を、大事にしたかった・・・のだけどなあ
どうしようもない。執着を捨てる。
↓ぽちっと応援お願いします!↓




